【快晴】自分の足で、自分の目で、自分の心で。

「どうせ」ネットで良く見かける言葉。
「どうせ◯◯だろ」「どうせ××にきまってる」体験もしない、ググりもしない。
浅はかな想像だけで、物事を知ったように錯覚し、そしてそれに参加しない自分を、それを購入しない自分を、それを体感出来ない自分を擁護するために否定するための「どうせ」
僕はそれが大っ嫌いだ。

ネットは凄い。
居乍らにして世界を知る事が出来る。
しかし、どんなに美しいディスプレイも、決して表現出来ないものが「現場」には溢れている。


僕はイベントや商品、番組や作品を企画するたびに、たくさんの「どうせ」を見て来た。
一つ一つの「どうせ」に反論しても意味がない。


「どうせ」がいかに自分に不利益を運んでいるのか。
それは自分で気付くしかないんだと思う。


清水愛ちゃんの釣りイベント。
「どうせボッタクリで、本人は客無視すんだろ」
なんて言ってた人もいたが・・・

そのイベントで釣りを体験し、その楽しさを知って、そしてたった2年弱。
知る事から逃げる臆病者が「どうせ」と蔑んだイベントを、「普通に」楽しみ尽くした彼らは、日本最東端の地に立ってロッドを振っていた。

ここでしか見れない景色。
体中に電気が走るような刺激的体験と、涙の出る様な感動と。

「どうせ」の先。
同じ先ならこうあった方が良いんじゃないかなぁ、なんて僕は思う。

「どうせ一度の人生だ、笑顔で居る時間が長い方がいい」


Anime Japan Fes 影山ヒロノブ遠藤正明きただにひろしの ゆかいな仲間たち
今年も参戦させて頂きました!

いやー熱かった!!
サイコーに楽しかったです(^^)

またまたJAMのコスプレ!

毎年劣化(ヒドス)とも言われるなか、俺はヒロノブさんっぽいジャケットを発見して
真夏にフードつきジャケットを購入したりしてw

  
しかも、左端・・・いや左恥!!!
弊社メガネ君扮する奥井さんは、なんとご本人の衣装を頂いてしまいました!!!!(驚!)
感謝感激(>_<)ありがたすぎて何か出そうです!

そして、すげぇ良い大学に入れた息子が、超満員のお客さんの前でこんな姿でスミマセン!
メガネくんのおとうさん&おかぁさん!!!
でもウケてました、そりゃもう!!!!(爆)

毎年毎年、ステージ上のミュージシャンとお客さんが一緒になってバカ騒ぎする、最高におばかで
最高にハッピーなイベント「ゆかいな仲間たち」
呼んでもらえるのは光栄すぎです(^^)

しかし・・・そ、そろそろネタがないぞーーーーw
まだ未体験と言うかたは来年是非!

ホントに面白いよ〜♪

追伸:バンブー・わっしー・われらONDと言う「深夜の3大アホ出演者」が一つの楽屋にまとまってしまい・・・楽屋が只の居酒屋と化しました(T_T)うひー。

【曇→晴】<一年間>

夕日ではない!朝日だ!

ちょうど一年前。
午後。
会社で、書類仕事をしていたらその瞬間は来ました。


スタジオの扉は、分厚く頑丈で、しかも2重になっているので大きな地震が来た場合開かなくなってしまい、中の人が閉じ込められてしまう場合がある。


この業界で「音」に携わって17年とか18年とか。
いつ習ったかわからない知識。


小さな地震が来るたびに、収録していれば一端止めて扉をあけてちょっと待つ。
なんて事はあたりまえの事でした。


あの日の揺れた瞬間「あ!」と思いました。
僕たちの会社は、若い会社です。
スタッフも若い。
もしかしたら、教えていたと思っていた「知識」が実体験として身に入って居ないいかもしれない・・・
まだ揺れている最中でしたが、1フロアあるスタジオに土足で駆け込みました。


さすがに収録は止まったいましたが、スタジオ内に人も残っていたので、扉を全開にして、みんなでビルの入り口に一時避難する事にしました。


揺れは続き、新宿の都心、ビル群を見上げるとまるでワカメのようにぐにゃぐにゃと
曲がり(免震構造とわかって居てもビックリした〜)、真上を通る首都高速はプラの下敷きみたいにポワンポワンしてました(免震構造とわかっていても(略))


役者、スタッフを無事に帰宅させる事。
一人暮らしなので自宅がめちゃめちゃ気になりましたが、親戚に電話しようにも回線はパニックでつながらないし・・・
交通も麻痺。


腹を決めて、会社に居座る事にしてグループ内を見回り。
そのうちにユーストで勝手中継してくれていたニュースから入ってくる壮絶な絵。
役者さんたちは、なんとか事務所との連絡もつき、帰路に。
あとはスタッフ。
家族が居るスタッフもたくさん居るので、どんどこ家に帰し、残らないといけないスタッフのために、とりあえず食料や飲み水の確認。
イベントのケータリング用に買った水。
ランティス祭りでもらった大量のランティ水(笑)
そして、取締役「教頭先生」のニックネームでお馴染み弊社Iさんが趣味で社内販売しているカップ麺の在庫。
カセットコンロにガス。
一通りモノが揃っているのを確認しました。


帰宅出来ないグループスタッフに「食べ物も水もあるよ、無理をしないで篭城作戦もありだからね〜」と言ってまわり、また「あ!」


駐輪場に止めているバイクは自動で施錠されています。
電気が来なくなったら解錠出来なくなるんじゃね?
と判断して、申し訳ないけど一時解錠。


ガソリンはそこそこ入っていたので、とりあえず自分の脚は確保出来ました。
こう言う時、バイクは強い(^^)

普段ヘラヘラしている分、こう言う時頑張らないとと言うプライドと言うか(笑)なんと言うか。
思い出して書いてみると、結構しっかりしてたなぁ俺(^^)


ここまでバタバタとやっているうちにすっかり夜。
ネットからは恐ろしい絵がどんどん飛び込んで来ます。


日記に「無事だよ」とポスト。
ネットは凄いなぁ、この混乱の中きっちりとつながってる。


弊社内はこんな感じで、あとは個々のスタッフが、翌日のイベントやる、やらん(出来るわけないっちゅーに)と言うクライアントさんに振り回されたり。
帰るに帰れず何泊もするはめになるスタッフがいたり。


一端帰宅。
ガソリンを満タンにしときたかったけど凄い列であきらめて自宅へ。
自宅はちょっとモノが落ちてた程度で・・・「あ!」
階段脇のガンプラが(>_<)うぅ。
しかしそんな程度で無事でした。


あの日の一日(一日以上の時間ですが)は、すぐ忘れる生き物な俺でも鮮明に、ホントに鮮明に覚えています。


そこから食料、ガソリン、物資。
都内のパニックは続きました。
輪番停電があったりなんだり。


もちろん直撃だった地域に比べれば、なんて事ないパニックですが・・・
多くの命があっという間に消え去り。
そして、いつまで続くかわからない見えない恐怖が残りました。


結局大わらわだったけど、僕たちは無事に生きています。
一年間生きてこれました。


「天罰」とやらに立ち向かうための第一歩。
まず生きる事。
これは自分で選択出来ない事もあるんだなぁと言う事を痛感しました。
「知識」は「経験」に。
あの日、あの瞬間。
偶然にも生きられた僕たち。
「天罰」と戦う為に。
「天罰さんでしたっけ?(ぷげら)結局ずっと俺たちのターンだったよ。がはははは。」と笑って逝くために。


実は毎日、毎時、毎秒、命を拾ってるんだなぁ。
偶然と偶然が重なって生まれて、偶然と偶然が重なって生かされている。
そんな事を思いながら、3月11日僕は某所で黙祷のサイレンを聴いていました。
たった1分間のサイレン。


これから続く色々な困難へのゴングなのかもしれないけど。
サイレンが聴こえると言う事は、僕の五体がありがたくも今日も無事で。
そして今日も生きていると言う事。


「あの後どうだった?」
と先に旅立った人たちに聞かれた時(もちろん「天罰」とかあたえやがったヤツが居たとしたらボコった後)
「あ、全然大丈夫だったよ。 みんな楽しく生きたよ! そう言えばさ・・・」
と盛り上がれるように。


今日も明日も、明後日も、ずーっと先も
「楽しい」を探す冒険を続けたいなぁ。


あの日から一年。
地デジ化してない(爆)我が家ではワンセグてちこっとTVを見る程度ですが、またあの映像が流れまくっているようですが。
振り返り、礎を築く為に研鑽の材料にする事は重要だけど。
もっと、シンプルに。


前向きでも、後ろ向きでも。
上を向いても、下を向いてもいいから。
歩いていくのがいいんじゃないかなぁ。


まだまだ頑張るぞーーー(^^)
みんなも頑張ろう!


Power of Japan!!

<曇>僕の知らない物語。

封切りから1ヶ月ちょい。
府中のTOHOシネマズのプレミアスクリーンは混んでいた。


俺の予想は、おっさんがいっぱい。
しかし全然違っていた。


若い男子がいっぱい。
ファー付きのダウンジャケットにカーゴパンツ
イカットのシューズなんて履いて、茶髪。
彼女と一緒にプレミアスクリーンのシートに座っている。


女の子の団体もきゃいきゃいと、キャラクターについて、映画の予想なんかを話している。


上演30分前にチケットを買ったけど、良席なんてもちろん無かったので、一番後ろの端っこの2席。その通路側を選んだ。


ここなら独りで全体を見られる・・・そう思った矢先に、となりに独りの若い女性。


予想と違う展開に、上映開始前から少しビビる。(笑)


俺はおっさんだ。 紛うこと無きおっさんである。
ちょっと勘違いしていたのかも知れない。


俺の周辺では、今までの他の「この手の作品」通り「おっさん」が「けいおんけいおん」言うておる。
グッズもちょっと若返っていたりもするが、多くはおっさんのために作られている。


物語もそうだと思っていた。
きっと「この手の」作品なんだろうなぁと。


少し、話を飛ばして。


俺が子供の頃の主人公は「超人」が多かった。
これはキン肉マンと言うことではなく、何か超能力が使えたり、恐ろしい技を持っていたり、すぐれた頭脳があったり、とてつもない勇気があったり。


主人公はその、本来持っている力と、後に努力で手に入れる力と、仲間たちの力で、何かに打ち勝っていくのが、多くのお話だった。


少したつと、主人公たちは現実の俺たちに、ちょっとだけ歩みよった。
ナヨっとしていたり、才能がなかったり、とりえがなかったり・・・それでも優しくて、何故だか女子がまわりにいっぱいいた。
結局、なんだかんだと世界を救ったり、なんかを勝ち取ったりしていった。


さらにたつと、主人公は最初から能力全開型になった。
もう負けることなどない、圧倒的スペック、ただそれを見せつけるカタルシス
それでも、結局なんかを勝ち取ったりするのだった・・・
しかも周りの女の子は、すげぇ数だったりした。


さらにさらにたって。
ふと気がつくと画面の中から主人公が消えていた。
物語は、世界を俯瞰で見るシステムに切り替わっていた。
何かを勝ち取ったり、世界を救ったりするのではない。


ちょっと不思議だったり、たまに何か事件はあるもののキャラクターたちの「日常」を俯瞰で覗き込むような構成。


移り変わりゆく「この手の」作品の中で・・・もう「この手の」の領域はとうに超えているみたいだった。
俺はそれが「ダメ」とは思っていない。
でも、「その物語」を俺は知らない。


プロが徹底的に拘り抜いた「可愛い」描写。
物語に大きな敵も、血も、事件も事故も、正義も悪もない。
「可愛い」を紡ぐための全て。


キャラクターの髪の毛の先まで、コンテの一枚一枚全部が「可愛い!」のためだけについやされていた。


すごいなぁ。
時代ってちゃんと変わっていくんだなぁ。


オタク世代闘争をしていた時、若手群は「新しさの追求」「過去の知識をひけらかすのでは無く、今を楽しむ」と言うスタンスだった。
しかし、控え室では、「世代間ギャップってあんまりないよね〜」なんて笑っていた。


でもこれは違う。
きっと日本のアニメーションが行き着いた、答えの一端だと思う。


すげぇ事だ。
キャラクターをしっかりと定着させ、そのキャラクターたちが何かをするだけで、みんな笑って、みんなずっこけて、みんなちょっと泣いたりした。


物語は終わらず、大団円もブラックエンドもない。
きっとループする。
最後を「これだ!」と提示する事もない。


新しい時代の、新しいアニメーション。
それはCGを駆使したものでも、3Dでもなく。
人が(多くはおっさんが)「可愛い」を求めて途方も無い枚数を描いて、積み上げた一枚絵のたばだった。


上映終了後、パンフとグッズ売り場には女の子たちがたくさん集まっていた。
「おっさん」よりももしかしたら女の子に刺さってんのかなぁ。


成功だけが詰まった、モニタの向こうの世界。
その世界を俯瞰で見る俺こと主人公。
主人公に都合良く近づいて来た世界は、いま途方も無く遠くになった。


その触る事が出来ない世界の向こう側・・・


スピードが上がった流行り廃りの中、次はどんな世界が受け入れられるのかなぁ。
俺も走って追いかけて、追い抜いていかないと。


こりゃ、ゆっくりアフタヌーンティーなんてしてられん(笑)