【謹賀新年】<僕とラジオ>

2011年、新年あけましておめでとうございます。


年の初めはさだまさしを途中までTVで、後はワンセグで聴きながら。


ラジオは僕の青春時代に欠かせないものでした。
小学校の時には、深夜のまっさんのセイヤングがあり、コサキンがあり、そして林原めぐみ閣下のハートフルやブギーナイト、すっかり大きくなってからもツイパラやらなにやらと・・・
今も僕のガレージには、その時撮り貯めた120分テープがわんさか段ボールに入って保管されています。


理科が大好きで、天文に興味があった僕は、小学生の時は後藤光学の正社員になりたかった。
府中にあって近いからなのか、プラネタリウム天体望遠鏡メーカーとして有名だからなのかは今なっては覚えていない。


しばらくすると、ミリタリーの魅力にハマり、すっかり自衛隊員を目指している自分がいた。
何故だかわからないけど、自衛隊員の夢はいつの間にかすっかり忘れていた(笑)


そして興味はラジオに移って行ったが、中学〜高校と勉強したりしなかったりと、チンタラすごしながらも、高校卒業そして大学に進学という段で「獣医師」を目指していた。
これも何故かわからない(笑)


突如、某養成所のオーディションを受けた。
ラジオの中でも好きだった、東京ブギーナイトでの楽しそうな「現場」に強く憧れて、僕はものすごく単純で馬鹿だったようで「声優になろう」と思ったからだ。


その後、チャンスに恵まれながらもふがいなく、声優の夢には届かなかった。


自分的には紆余曲折があり・・・
それでもちゃんと今、ラジオ(のようなもの)を作っている。
地上波、特に聴きに聴きまくった文化放送でラギュラーもさせてもらえた。
生放送もした。


さだまさしさんの声を聴きながら、フライフィッシング用の毛針を新年早々、黙々と巻いていたら、あの頃を思い出した。


嬉しい時も、悲しい時も、むかついてる時も、爆笑している時も・・・
僕の近くにはいつもラジオがあった。


セロ弾きが流れたら、まるでセイヤングのエンディングのような気がして、はっとなった。
ラジオは僕の血肉になっている。
魂の奥底まで、あの時のラジオが染み付いている。


くだらなくて、下世話で、そしてすごく感動的な。
人が人に向けて話す言葉が電波に乗って日本中をかけめぐっている。


今は、ネットの網が僕たちのラジオっぽいものを運んでいる。
今までの「ラジオ」とは別物かもしれないし、地上波ラジオ放送局の一部からは「<音泉>は競業社でありつまりは敵だ。」なんて言われたりもする。



それでも僕はラジオを愛しているんだなぁと強く思った。
ラジオには、他のメディアに無い凄い力があると僕は本気で信じている。


音楽で世界が救えるように。
きっとラジオも誰かを元気づけたり、笑顔にしたり、背中を押したり、もしかしたら救ったり・・・


2011年、1月1日に、変わらぬ声と変わらぬテンションで、さだまさしさんはしゃべっていた。
あの頃のまま、そこにいた。


ず〜〜〜〜〜〜っと続くラジオには、やっぱり力がある。
僕たちが関わるラジオはなかなかそうは行かないけれど、僕は出来れば全ての番組がず〜っとそこにいればいいのになぁ。
と本気で思っている。


夢中になってくれた貴方が帰る場所があるなんて、そんな素敵な事は他にないと思うから。


少しだけ誰かのやくにたつ。
そんなラジオを目指して、個人的にも会社的にも2011年頑張りますので、よろしくお願い致します。


きっと良い年になりますように。
そして、一緒に「楽しい」を探す冒険をしましょう(^^)