<曇>僕の知らない物語。

封切りから1ヶ月ちょい。
府中のTOHOシネマズのプレミアスクリーンは混んでいた。


俺の予想は、おっさんがいっぱい。
しかし全然違っていた。


若い男子がいっぱい。
ファー付きのダウンジャケットにカーゴパンツ
イカットのシューズなんて履いて、茶髪。
彼女と一緒にプレミアスクリーンのシートに座っている。


女の子の団体もきゃいきゃいと、キャラクターについて、映画の予想なんかを話している。


上演30分前にチケットを買ったけど、良席なんてもちろん無かったので、一番後ろの端っこの2席。その通路側を選んだ。


ここなら独りで全体を見られる・・・そう思った矢先に、となりに独りの若い女性。


予想と違う展開に、上映開始前から少しビビる。(笑)


俺はおっさんだ。 紛うこと無きおっさんである。
ちょっと勘違いしていたのかも知れない。


俺の周辺では、今までの他の「この手の作品」通り「おっさん」が「けいおんけいおん」言うておる。
グッズもちょっと若返っていたりもするが、多くはおっさんのために作られている。


物語もそうだと思っていた。
きっと「この手の」作品なんだろうなぁと。


少し、話を飛ばして。


俺が子供の頃の主人公は「超人」が多かった。
これはキン肉マンと言うことではなく、何か超能力が使えたり、恐ろしい技を持っていたり、すぐれた頭脳があったり、とてつもない勇気があったり。


主人公はその、本来持っている力と、後に努力で手に入れる力と、仲間たちの力で、何かに打ち勝っていくのが、多くのお話だった。


少したつと、主人公たちは現実の俺たちに、ちょっとだけ歩みよった。
ナヨっとしていたり、才能がなかったり、とりえがなかったり・・・それでも優しくて、何故だか女子がまわりにいっぱいいた。
結局、なんだかんだと世界を救ったり、なんかを勝ち取ったりしていった。


さらにたつと、主人公は最初から能力全開型になった。
もう負けることなどない、圧倒的スペック、ただそれを見せつけるカタルシス
それでも、結局なんかを勝ち取ったりするのだった・・・
しかも周りの女の子は、すげぇ数だったりした。


さらにさらにたって。
ふと気がつくと画面の中から主人公が消えていた。
物語は、世界を俯瞰で見るシステムに切り替わっていた。
何かを勝ち取ったり、世界を救ったりするのではない。


ちょっと不思議だったり、たまに何か事件はあるもののキャラクターたちの「日常」を俯瞰で覗き込むような構成。


移り変わりゆく「この手の」作品の中で・・・もう「この手の」の領域はとうに超えているみたいだった。
俺はそれが「ダメ」とは思っていない。
でも、「その物語」を俺は知らない。


プロが徹底的に拘り抜いた「可愛い」描写。
物語に大きな敵も、血も、事件も事故も、正義も悪もない。
「可愛い」を紡ぐための全て。


キャラクターの髪の毛の先まで、コンテの一枚一枚全部が「可愛い!」のためだけについやされていた。


すごいなぁ。
時代ってちゃんと変わっていくんだなぁ。


オタク世代闘争をしていた時、若手群は「新しさの追求」「過去の知識をひけらかすのでは無く、今を楽しむ」と言うスタンスだった。
しかし、控え室では、「世代間ギャップってあんまりないよね〜」なんて笑っていた。


でもこれは違う。
きっと日本のアニメーションが行き着いた、答えの一端だと思う。


すげぇ事だ。
キャラクターをしっかりと定着させ、そのキャラクターたちが何かをするだけで、みんな笑って、みんなずっこけて、みんなちょっと泣いたりした。


物語は終わらず、大団円もブラックエンドもない。
きっとループする。
最後を「これだ!」と提示する事もない。


新しい時代の、新しいアニメーション。
それはCGを駆使したものでも、3Dでもなく。
人が(多くはおっさんが)「可愛い」を求めて途方も無い枚数を描いて、積み上げた一枚絵のたばだった。


上映終了後、パンフとグッズ売り場には女の子たちがたくさん集まっていた。
「おっさん」よりももしかしたら女の子に刺さってんのかなぁ。


成功だけが詰まった、モニタの向こうの世界。
その世界を俯瞰で見る俺こと主人公。
主人公に都合良く近づいて来た世界は、いま途方も無く遠くになった。


その触る事が出来ない世界の向こう側・・・


スピードが上がった流行り廃りの中、次はどんな世界が受け入れられるのかなぁ。
俺も走って追いかけて、追い抜いていかないと。


こりゃ、ゆっくりアフタヌーンティーなんてしてられん(笑)