【曇→晴】<一年間>

夕日ではない!朝日だ!

ちょうど一年前。
午後。
会社で、書類仕事をしていたらその瞬間は来ました。


スタジオの扉は、分厚く頑丈で、しかも2重になっているので大きな地震が来た場合開かなくなってしまい、中の人が閉じ込められてしまう場合がある。


この業界で「音」に携わって17年とか18年とか。
いつ習ったかわからない知識。


小さな地震が来るたびに、収録していれば一端止めて扉をあけてちょっと待つ。
なんて事はあたりまえの事でした。


あの日の揺れた瞬間「あ!」と思いました。
僕たちの会社は、若い会社です。
スタッフも若い。
もしかしたら、教えていたと思っていた「知識」が実体験として身に入って居ないいかもしれない・・・
まだ揺れている最中でしたが、1フロアあるスタジオに土足で駆け込みました。


さすがに収録は止まったいましたが、スタジオ内に人も残っていたので、扉を全開にして、みんなでビルの入り口に一時避難する事にしました。


揺れは続き、新宿の都心、ビル群を見上げるとまるでワカメのようにぐにゃぐにゃと
曲がり(免震構造とわかって居てもビックリした〜)、真上を通る首都高速はプラの下敷きみたいにポワンポワンしてました(免震構造とわかっていても(略))


役者、スタッフを無事に帰宅させる事。
一人暮らしなので自宅がめちゃめちゃ気になりましたが、親戚に電話しようにも回線はパニックでつながらないし・・・
交通も麻痺。


腹を決めて、会社に居座る事にしてグループ内を見回り。
そのうちにユーストで勝手中継してくれていたニュースから入ってくる壮絶な絵。
役者さんたちは、なんとか事務所との連絡もつき、帰路に。
あとはスタッフ。
家族が居るスタッフもたくさん居るので、どんどこ家に帰し、残らないといけないスタッフのために、とりあえず食料や飲み水の確認。
イベントのケータリング用に買った水。
ランティス祭りでもらった大量のランティ水(笑)
そして、取締役「教頭先生」のニックネームでお馴染み弊社Iさんが趣味で社内販売しているカップ麺の在庫。
カセットコンロにガス。
一通りモノが揃っているのを確認しました。


帰宅出来ないグループスタッフに「食べ物も水もあるよ、無理をしないで篭城作戦もありだからね〜」と言ってまわり、また「あ!」


駐輪場に止めているバイクは自動で施錠されています。
電気が来なくなったら解錠出来なくなるんじゃね?
と判断して、申し訳ないけど一時解錠。


ガソリンはそこそこ入っていたので、とりあえず自分の脚は確保出来ました。
こう言う時、バイクは強い(^^)

普段ヘラヘラしている分、こう言う時頑張らないとと言うプライドと言うか(笑)なんと言うか。
思い出して書いてみると、結構しっかりしてたなぁ俺(^^)


ここまでバタバタとやっているうちにすっかり夜。
ネットからは恐ろしい絵がどんどん飛び込んで来ます。


日記に「無事だよ」とポスト。
ネットは凄いなぁ、この混乱の中きっちりとつながってる。


弊社内はこんな感じで、あとは個々のスタッフが、翌日のイベントやる、やらん(出来るわけないっちゅーに)と言うクライアントさんに振り回されたり。
帰るに帰れず何泊もするはめになるスタッフがいたり。


一端帰宅。
ガソリンを満タンにしときたかったけど凄い列であきらめて自宅へ。
自宅はちょっとモノが落ちてた程度で・・・「あ!」
階段脇のガンプラが(>_<)うぅ。
しかしそんな程度で無事でした。


あの日の一日(一日以上の時間ですが)は、すぐ忘れる生き物な俺でも鮮明に、ホントに鮮明に覚えています。


そこから食料、ガソリン、物資。
都内のパニックは続きました。
輪番停電があったりなんだり。


もちろん直撃だった地域に比べれば、なんて事ないパニックですが・・・
多くの命があっという間に消え去り。
そして、いつまで続くかわからない見えない恐怖が残りました。


結局大わらわだったけど、僕たちは無事に生きています。
一年間生きてこれました。


「天罰」とやらに立ち向かうための第一歩。
まず生きる事。
これは自分で選択出来ない事もあるんだなぁと言う事を痛感しました。
「知識」は「経験」に。
あの日、あの瞬間。
偶然にも生きられた僕たち。
「天罰」と戦う為に。
「天罰さんでしたっけ?(ぷげら)結局ずっと俺たちのターンだったよ。がはははは。」と笑って逝くために。


実は毎日、毎時、毎秒、命を拾ってるんだなぁ。
偶然と偶然が重なって生まれて、偶然と偶然が重なって生かされている。
そんな事を思いながら、3月11日僕は某所で黙祷のサイレンを聴いていました。
たった1分間のサイレン。


これから続く色々な困難へのゴングなのかもしれないけど。
サイレンが聴こえると言う事は、僕の五体がありがたくも今日も無事で。
そして今日も生きていると言う事。


「あの後どうだった?」
と先に旅立った人たちに聞かれた時(もちろん「天罰」とかあたえやがったヤツが居たとしたらボコった後)
「あ、全然大丈夫だったよ。 みんな楽しく生きたよ! そう言えばさ・・・」
と盛り上がれるように。


今日も明日も、明後日も、ずーっと先も
「楽しい」を探す冒険を続けたいなぁ。


あの日から一年。
地デジ化してない(爆)我が家ではワンセグてちこっとTVを見る程度ですが、またあの映像が流れまくっているようですが。
振り返り、礎を築く為に研鑽の材料にする事は重要だけど。
もっと、シンプルに。


前向きでも、後ろ向きでも。
上を向いても、下を向いてもいいから。
歩いていくのがいいんじゃないかなぁ。


まだまだ頑張るぞーーー(^^)
みんなも頑張ろう!


Power of Japan!!